ラ ラ ラピュタ
見ましたか、昨日の金曜ロードショー。
もう8回見た気がするのですが、それでも心掴まれてしまいました。
何故か今回はドーラの車が崩れる線路を頑張って渡ってくるところで泣いてしまいました。
おっと、いきなり画像を間違えてしまいました。
なんでこの車こんなに頑張ってるんだ、、、、、( ノД`)とか、、、、。
もはやなんで涙が出るのかワケがわからない。
それがラピュタだというだけで泣けてくる。
なんでしょう、あの心にグッとくる感じは。忘れてしまった少年時代の冒険心をおもいださせるような、、、、、、。
しかもそんなドキドキだけじゃなく、何処か物悲しい思いの入り混じるあの複雑な感情は、、、、、、。
それでいて観ていて単純に楽しい。ストーリの展開にまた心を持っていかれる。。。。
魅力的なキャラクター。そこから発せられる言葉。美しすぎる絵、動画の滑らかな動き。音楽。
どこを切り取っても名作だと言わざるを得ません。。。
宮崎駿監督の天才っぷりには驚嘆するばかりです。
宮崎駿監督のドキュメンタリーをいくつか見たのですが、彼は超絶なアイデアマンであると同時に、物凄い完璧主義者なんですよね。
自分の頭の中のイメージを映画として表現することに一切の妥協を許さない。
ちょっと語尾などは違うかもしれないですがこんな事を言っていました。
『人生ってのはねぇ、失うものを増やしていくゲームなんだよ。』
カッコよすぎだろ…
ああ違う、間違えた。思わずYAZAWAが出てしまいました。
......。
宮崎監督はこんなことを言っていました。
「映画ってのはね、実際にそういう世界があって、それを画面で切り抜いてるようなもんなんだよ。」
ははーー。
他にも、こんな話もありました。
「今新しいキャラクターを突然考えて描いてみると、顔の線が無作為にグニャって曲がったりして面白い絵になる。そこが情報となってインパクトを与える。
でもこれをアニメで動かそうとしたら何万枚も同じ絵を描かなくちゃいけないから、どうしても効率を求めて単純化した絵になってきてしまう。顔のグニャっと曲がってたところはツルッとした真っすぐの線になる。そうするとインパクトが薄れて面白くなくなってくるんだよ。」
なるほどのう。。。。。。
そんな宮崎監督についてですが、
ラピュタに関してこんな衝撃記事がありました。
まぁホントかウソか保証は無いんですが、、、、、、。
ていうか殆ど宮崎監督の話じゃなくて創作者の常識という観点で書かれているのはなんでだ、、、、、、、、。
たしかに、この話の内容の一部は分からなくはない。
バズーはお父さんの跡を継いでラピュタを見つけるのが夢だったハズなのに、終盤はお父さんのことを忘れている節がある。。。
けど他はただの、、、、、
言いがかりだろ!
鶏とか、肉団子とか、書いてて「俺ラピュタに対して何書いてんだ、、、、」ってならなかったのか。
そもそも佐倉 大 (北久保弘之)って誰なんだ。。。。。どっちが本当の名だ。
「創作者の常識」って、、、、そこから如何に外れようとするのかが創作活動なんじゃないのか。。。。。
『ついでに言っとくと、ラピュタの失敗が無かったら「となりのトトロの大成功は無かった」ので、プラマイで言うとややプラス。 』
正気なのか。
そのちょっとした矛盾感が、こっちの世界とは違うラピュタの世界に引き込む手伝いをしてるんじゃないかと思うんですけどねぇ。。。
あの独特な感じは、ただセオリーに沿うだけじゃ出ないと思うんですがね。
実際私は矛盾点などにはサッパリ気付かず引き込まれて観ていました。(8回)
ラピュタみたいな超ファンタジーにそんな考え方を持ち込むこと自体が無粋じゃないかと思うんですが、、、、
ジブリ作品をそんな見方したら
『フェアじゃないねえ』
ってYAZAWAに言われるんじゃないですか。
そしたらこう返ってくるかもしれません。
「言葉を慎みたまえ、君は佐倉 大 (北久保弘之)の前にいるのだ」
完
今日の一曲『君をのせて』
君をのせて(伴隨著你) 井上あずみ(井上杏美)|映画「天空の城ラピュタ(天空之城)」主題歌
こんな素晴らしいものを産み出す力があれば、どんなに良いだろう。