太宰治の言葉から学ぶ人生のヒント ①
私は確信したい、人間は恋と革命のために生まれてきたのだ。
太宰治 (1909-1948)
太宰治の言葉
『ひとはなぜ生きていなければいけないのか、そのわけが私には呑みこめなかった。』
人はなんで生きなければならないと思い込んでいるんだろうか。別に死んだほうがマシだと思うなら死んだっていい。肉(私)のいとこの一人も自殺で死んだ。同い年で仲も悪くなかった。でもそこまでショックでもなかった。葬式で、親戚はみんな「若いのにかわいそう」と連呼し泣いていた。肉は、それより死を選ぶほど辛い状況にあったことをかわいそうだと思った。それ程しんどいなら、死ぬ方が幸せだろう。
死んだら地獄か天国かどっちに行くみたいな話がよくあるけど、この世界こそが地獄なんじゃないかとたまに思う。普通の世界で死んで、地獄のこの世界に落ちてきたんじゃないの。毎日楽しくなさそうな人が多すぎる。地獄から出られないように、たまにあるちょっとした幸せみたいなのを餌にして生きさせられてるんじゃないの。生きてたらいつかいいことがあるから死んじゃいけない、なんて思い込ませられてるんじゃないのか。だから死んだ人がいればうわーうらやましいなんて言っちゃって、うまく天国に上るための死に方なんて本が出ればいい。まあそんなことはないけど。
なんにしてもいつでも死んじゃっても構わないやと思いながら生きてく方が、大胆に生きられてむしろ得なことが多いような気がする。何でも恐れずやってみよう、困ったら死ねばいいんだ。
ちなみにこの言葉が出てくる「ダスゲマイネ」を発表した年太宰治は、入社試験に落ちて自殺未遂をしたらしい。
『生きている限りは、みじめになりたくないのです。』
みじめになりたくない。同級生のあいつはあんなに頑張ってるのに、自分は何やってんだとふと思うとき、一番みじめでつらくなる。自分が立派な人間でないことが何よりもつらい。お金をたくさん稼げる立派な人間になりたい。自分を誇れる人間になりたい。みじめにならないために、たくさん頑張らねばならない。 一番直近で自分をみじめだと思ったのは、スーパーで30%引きのシールの上に、半額のシールを張られた弁当を買った時。それを一人で食べたとき。
『生きるということは、たいへんな事だ。あちこち鎖が絡からまっていて、少しでも動くと、血が噴き出す。』
あっちを立てようと思えば、こっちが詰まって、こっちを立てれば、こっちが詰む。人間社会はそんなのばっかりである。お金とか人生とか親やら友達やら、いろんなしがらみの中で、人は生きて、疲弊していく。最近、ひとりで生きたほうが成功できる、という本が流行っているようだが、そういうのを見ると、ああ全てが手に入ることはないんだなと思う。なにかを取れば何かを失う。
矢沢永吉は言っていた。「人生ってのはねえ、失うものを増やしていくゲームなんだよ。」(かっこええ)
ちなみに太宰治も、「人と接する」時には「楽しい雰囲気を創る事に努力する」と語っている。あんまり普通の人と変わらない。
『甲斐ない努力の美しさ。われはその美に心をひかれた。』
甲斐ない、とは意味のないということ。受験勉強だとか、筋トレだとか、人は見るからに成果が上がりそうなものなら簡単に努力できる。しかし、一見成果のないもの、誰からも評価されないもの、自分ですら意味があるかわからないものに努力しつづけることは極めて難しい。それでも何かを確信してやりつづければ、いづれ大きな成果を生むかもしれない。辛くてもやり続けよう、と思う。
続く
価格:1,153円 |